祝宝塚百年!
私が疎開先から呉市に家族と戻り、確か、二、三年後に
大叔母を尋ねて姉妹が田舎に行った時、
山の中から大叔母は険しい山道から下りて出迎えてくれた。
”わしはもう直ぐ八十八になるんよ”と・・・
その時すでに同じ村の古里に帰っていた。
一人暮らしを止めて甥の家族と同居であつた。
甥一家はおばあさんと言ってみんなで大切に
して、何事もおばあさん中心の幸せな暮らしがうれしかった。
大叔母から見れば我々はまだ、飢えた幼い子どもであったか?
着いて直ぐ”マンマ食べんさい”家族ですぐに食事となり
大きいビンにラッキョウ漬け、梅干、たしか野菜のにもの・
山の奥の素朴なご馳走が美味しくて今でもあの暖かい家族の
光景が懐かしい!
食後、「本もあるよ、」見れば初めて目にした
タカラズカのグラフであった。
タカラズカの少女の舞台の様子。勿論白黒写真。
説明書きに”高峰妙子さん、まだ十四才の可愛らしいこと!”
(もし年が間違っていたらごめんなさい)
今も不思議に思うのはあのきりっとした男勝りの
大叔母とタカラズカが結びつかない。
そうそう、題は”どんぶらこ”であった。
広島地方は昔から男の子は大阪に丁稚奉公、女の子は女中奉公、
行儀見らないが多かったと聞いていた。
商人の勉強は関西が人気があった。
もしかして、これは大阪土産?今あのグラフがあれば値打ちものだわ!
今年はタカラズカ百年!とテレビで盛んに報道していてフトあの山奥で見た
薄いグラフを思い出した。
かく言う私はタカラズカファンで、呉巡業公演では真っ先に行った。
お小遣いまで貰って田舎をあとにしたけど、あの小さな山の奥の景色、
大叔母の年を感じさせないはつらつとした姿は忘れない。