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カテゴリ:思い出( 17 )

あ~草、草

この炎天下、畑の草は
益々勢いを増して殖え続けている。

折角取った草も五日もおけば
元のもくあみである。

思えば戦後八年ぐらいたった頃
うら若き私が初めて東京へ行った時の事、
まあ、修学旅行のようなものであったが・・・

憧れの東京は新宿辺りはまだ暗くひっそりしていた。
友と乗り込んだタクシーの運転手さんとの会話
「どちらから?」「広島です」
「広島は七十年草木も生えぬと聞いたけど本当ですか?」
私たちはびっくりして「いえいえ草も木もちゃんと生えています」
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被爆後広島は復興して、あの時の木々が新しく芽吹き
大きくたくましく生長して今では平和のシンボルになっている。

今、国内はおろか遠い国々の出来事が
瞬時に伝えられる世の中になった。   私の遠き日の
思い出での一こまではあるがあの時の驚きは忘れられない。

毎日続く草との格闘は、もしかしたら平和の証、
喜ばしいことかもしれない・・・と、思うことにしょう。
by ba-basan | 2006-08-13 17:46 | 思い出

へちま

農園に植えたへちまが黄色い花に小さな実をつけた。
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いつかは植えてみたいと思っていたが
やっと実現した。

子どもの頃、どこの家でもへちまを植えていた。
これも日本の夏の風物詩。夏休みになると
小学生はこぞって、へちまの観察を始める。

我が家では庭の松ノ木に蔓が登って
大きいへちまが何本もぶらさがり
大人も子どもも一緒になって大喜びだった。

へちまの実は収穫後はタワシとなる。
今でいう、スポンジタワシだが
大変柔らかくお風呂用に、台所用に重宝する。

最後に蔓を切った後、一升瓶に受けて
ヘチマ水を取る。

女性は、この液体を薬局で調合してもらって
化粧水の”へちまコロン”の出来上がりとなる。

今、この五センチにも満たないへちまが
果たしてここまで出来るか・・・
まあ、夏の終わりのお楽しみといったところか。
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by ba-basan | 2006-06-28 16:38 | 思い出

合歓(ねむ)の木

今年も暑い夏が巡ってきた。
農園までの田舎道の車窓の景色は
めまぐるしく移り変わる。

冬木立から新緑へ・・・やがて待ち焦がれた桜の季節。
山のてっぺんの山桜。そして藤、つつじ。

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今は、山間の木々の中で「合歓の花」が真っ盛り。
しばし見とれしまうのが、いつもの慣わしとなった。

戦時中、学童疎開の時のこと、毎日の登下校は集団で
ひと山越えて村の学校に通う日々であった。

ある日、山の中で大きな木に、まるで羽のようにフワッと青空に
溶けてゆきそうな幻想的な花が・・・これは何の花?
大木なのにひそやかに咲いている花に心を奪われ
しばし我を忘れ・・・

これが始めての合歓の木との出会いであった。
この季節、この木を目にする度に
あの懐かしい子どもの頃に思いをはせる。

ああ、友よ!
ひとあし先に縁故疎開に変わった私をお寺の境内の
丘の上からいつまでも、いつまでも手を振って
見送ってくれた友だち。

迎えに来てくれた父と妹と「さようならー」と
なんども、なんども振り返り、

手を振り続けたあの日が甦り
胸を熱くする。

この季節、あの日の光景が合歓の花と共に懐かしく
思い浮かぶ。

*写真は6月19日に撮影。農園のお花畑です。合歓の花は残念ながら写してません。
by ba-basan | 2005-07-04 15:52 | 思い出

市場の話(戦後60年に寄せて)

私の故郷は軍港があった呉である。
戦後焼け跡からいち早く出現したのは闇市であった。

無一物になった人々は、それぞれに自家製の
品物や食べ物を持ち寄り広場に集まり、店開きとなる。

活気に溢れ、人々の顔は明るく希望に満ち満ちていた。

小さい頃からお店やさんがごっこ大好きだった私は
毎日学校帰りには必ずたちより、あれこれ見て回るのが
楽しくてたまらなかった。

闇市から少々昇格して青空市場になり、その後は
マーケットに・・・

お肉やさんの前では、お肉やさんとお客さんのやりとりが楽しく
「ビフテキ二枚ね。」「塩コショウしましょう」
手際よく肉たたきで肉をトントン叩き、塩、コショウをパパッと・・・

「牛肉二百文匁ください」”フムフムこのぐらいかしら”
ビフテキの時はこうするのね。

ついに「肉やさんにお嫁においで」と
お店の人に言われてしまったぐらい。(笑)
熱心に見学していたら時の経つのも忘れて
いたのだ。

友人と本屋で立ち読みしていて
パタパタはたきをかけられ、
仕方なく帰ったことも多かったわ。

時は移り、今年平成十七年、

近々ミニミニ野菜市の開店予定。
ふと、あの懐かしい光景を思い出した次第。

今年は戦後六十年の節目の時、
「ばあばの農園奮闘記」が
脱線してあの頃に想いを馳せ
記憶の糸を手繰り寄せ、ボツボツと書き記していこうと思う。c0060919_18301053.jpg
by ba-basan | 2005-06-07 17:19 | 思い出

花、はな

戦後ようやく人々の生活も落ち着きはじめ、みな懸命の努力の甲斐あって
バラックからなんとか普通の家に住めるまでにこぎつけた頃のこと、
でもまだまだ今から思えば物資の乏しい貧しい暮らしだった。

十代の私は(信じてもらえぬだろうが)清純可憐な夢見る乙女・・・であった。

ある日隣人に三本の薔薇の枝を挿し木するようにと差し出され、
喜び勇んで門のそばに挿しておいたのだ。

梅雨になって、あの小枝がぐんぐん延びて
家の白いモルタルの壁が深紅の蔓薔薇に覆われそうに・・・・・

毎年梅雨の季節にドンドン増えて壁一面の薔薇となった。

道行く人が口々に「わーきれい!」

歓声を耳にして大得意であった。

時は移り・・・・・・
田舎の我が家の休耕田が一面のコスモス畑になった時のこと。

色鮮やかな、そして色とりどりの美しく揺れるコスモスを一人佇んでみとれていると
一台の車から一人の若者が降りてきて

「これは何という花ですか?」
「コスモスですよ」と、私。

若者はしばらく眺めて、
やおら感心したように「きれいな花ですね」立ち去った。
まるでお花とは縁のなさそうな若者の気持ち迄をも引きつける。

花は嬉しい大地からの贈り物かも知れない。

わが農園は
今年こそ花いっぱいにしたい。
 
そして、アーチに薔薇を這わせよう。

イングリッシュガーデンを目指して!

夢はでっかく・・・でアル。c0060919_1714397.jpg
by ba-basan | 2005-04-25 21:59 | 思い出

春の訪れ   こんな事もありました。

戦後の混乱期、今頃、あの頃を伝えるテレビを観る機会が多く
ホントみんなよく頑張ったんだなーとしみじみ思う。
たいていの家庭では男の人は都会で仕事を、
妻子は疎開のままでお互いに行ったりきたりの暮らしだった。
我が家もそういう生活だった。

あの頃のバスはまことにお粗末で、田舎の峠を走る時必ずエンストで立ち往生する。
その度に「全員降りてください。男の人はバスを押してください。」運転手さんの号令で
みんな「エンヤーコーリャー」と押していく。
やっと動き出したものの、到着までみんな乗ったり降りたりで忙しい。
でも、誰も文句は言わなかった。

ある日のこと、「田舎から町に帰るならトラックの便があるから姉と私を乗せてあげよう」と
親切な近所の人の申し出をそれはそれは嬉しく、お言葉に甘えてお願いすることにした。

当日、約束どおり田んぼのそばで大きなリュックを背負った姉と
小さいリュックの二人の姿があった。

田舎道をトラックがユルユルと我々に向かって近づいてくる。
とその時、我々の目の前でいきなりトラックは田んぼの中に横転・・・
ひっくりかえったのだ。

一瞬のことでまさに呆然!

運転手と助手の二人は、トラックの窓からゴソゴソと這い出てホッ。
今だったら「お怪我はありませんでした?まあご無事で何よりでしたね。」とまあ、
こんなやさしい声をかけたでしょうに・・・

「こういうことで今日はもう車は出ません」
運転手さんの言葉にがっかりした二人は歩いて町まで帰ることにする。

四里の道のりは子供の足で四時間かかるが、
野越え山声越え、唄ったりおしゃべりしながらアルケアルケ!

土手にさしかかると土筆の群生に大歓声をあげふたりで、
せっせと土筆採りに我を忘れる。

山道でまたもや土筆、その度につくしが増えて
お土産がどっさりできて大喜びだ。

いつの間にか陽が傾きはじめ、さすがに山の中は気味悪く
二人とも寡黙になって急ぎ足で家路へ急ぐ。


昨日、田舎の我が家に土筆が沢山伸びていた。

今年は春が遅いと言っていたけど、また土筆の季節が巡ってきた。
大地の営みを有難いと思う。

あらら、あの頃も行ったりきたり・・・
今は街と農園を行ったりきたり。
でも今は車で片道五十分あればよい。
便利になったものだ・・・と隔世の感に浸るばぁばなのだ。
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by ba-basan | 2005-04-04 17:21 | 思い出

じゃがいもの思い出

三月も半ばになってジャガイモの種芋が届いた。

昨年の秋じゃがはあまりよい出来ではなかったが、
煮崩れしないメークインで初めてにしては○ってとこか。
今年はもっと上手に作ろうと張り切るばあば。

ところで、ジャガイモと言えばいつも思い出すことがある。

あれは何年前のことだろう。ばあばは戦争中疎開していたの。
(ばあばは、呉生まれ)

私の疎開先(熊野跡村)での田舎生活ではじゃがいもは、貴重な主食であった。
なんたって米がないのでジャガイモ、サツマイモが毎日のご飯であった。

子供はだれもが大切な労働力。
食事つくり、井戸の水汲み、子守、薪割り、農作業その他諸々、
勿論私は勉強そっちのけで家事に勤しんだものである。

夕食の支度は私の役目だった。(子どもの頃から料理してたのよ。)
大きな鍋いっぱいにじゃがいもを茹でて満身の力を込めてエイ!!ヤッ!!
と鍋をゆすった途端、中のジャガイモは宙高く舞い上がり
手から離れた鍋ごと、地面に落下!
夕食の粉ふき芋が出来るはずだったのに・・・・

私を取り囲み楽しみに待っている弟妹の驚きの顔、顔、・・・

幸いなるかな、芋は飛び散ることなく無事、鍋の下に収まった。
そーっと鍋を除けてみれば、ナントじゃがいもの山である。
と、ここまでははっきり記憶にあるがその後は思い出せない。

ドラマの”おしん”と同じようなわらぶき屋根の家の台所で働き、
そして皆で助け合い一生懸命生きてきた時代。
じゃがいもと共に思い出す「ほろ苦い思い出」である。
by ba-basan | 2005-03-14 17:11 | 思い出